【ECショップの秘話披露】20年前、何が起きたのか?てるくにでんき堂園秀隆さんに聞く
今でこそ、当たり前の様にECを使う日々ではありますが、実は、今からわずか20年前にはECは、ほぼ影も形もなかったと言えます。でも、まだごくわずかな人たちではありましたが、もしかしたらビジネスになるかもしれないという志を持った人たちがいたのも事実です。
その頃に、今のECの原点があるような気がして、当時のことをよく知るてるくにでんき電子商店」の堂園秀隆さんに話を聞いてみました。
約20年前に、ECは産声をあげた
「てるくにでんき」は“電子商店”という古風な名前の通り、まだネットが多くの人にとって身近ではない時代に立ち上げ、家業の傍、始めたビジネスでした。
「最初はドメイン登録なんて考えていなくて、ただホームページ作っていた、というのが正直なところです。もう 年前1996年6月の話です」と堂園さん。彼がのめり込むきっかけは、1995年「ウィンドウズ 」の登場を受け、パソコン専門誌を見ていた時でした。
それまでは、ごく少ないコミュニティでやるようなパソコン通信はありましたが、そうではなく、ワールドワイドウェブとなるもの、つまりインターネットが広がり始めて、世界中のパソコンが繋がり始めていることに感銘を受けたのです。
「面白いな、と思いました。弊社自体その時業績が悪くて、新しいことをやらないとつぶれてしまうとて思ってましたから、なおさらです」と堂園さん。確かに、自分がもし商品を作るメーカーであれば、独自性を持ってやることもできますが、そうでなく仕入れて売るお店でした。少しでもキャッシュフローを良くしたいとの思いもあり、低コストで参入できるこの事業に魅力を感じていた、と言います。
運命的な岸本屋や家具のアオキとの出逢い
そんな時に、目にしたのが新聞記事。インターネットが出てきただけでなく、例えば、アメリカではDellがネット通販で成功を収め始めていたり、ビジネスもできるという事が彼の心を大きく動かしました。そこで、堂園さんも自分でホームページを作り、家電製品を並べてみたわけです。人生は甘くないといいますか、最初の1カ月間は、全く反応が得られませんでした。堂園さんはなぜだろうと、本屋に行っていろんな本を読みあさっていたといいます。 そこで、あることに気づきます。
〝インターネットで売り上げている会社特集〞の本を見ると、最初、大手ばかりなのかなと思っていたのが、そうでもないんだなって。岸本屋とか、家具のアオキとか。なんぞや?聞いたことがない(笑)」と。 しかしいざ「岸本屋」のホームページへと行くと、岸本屋はデザイン的に優れているわけではなく、どう考えても素人が作ったようなホームページでした。なぜ??と。いてもたってもいられなくなった堂園さんは、遂に思い切った行動に出ます。岸本屋に直接「東京の練馬でECをやっているけど、うまくいかないのでヒントをいただけないだろうか」と問い合わせたのです。
すると、店主 岸本栄司さんはこう返事しました。「なに屋かわからないですね。情報を発信しようとしているのか、モノを売ろうとしているのかがわからない」と。しかし、当初その意図が堂園さんには理解しきれなかったと言います。たくさん商品を売ろうというのだから、色々売りたいものを出せばいいのに、岸本さんは、逆に、商品を絞る必要性を説いていたからです。岸本さんは、視点を変え、それでは、同じジャンルの家具のアオキさんに行けば、その意味もわかるだろうと勧めました。
これか! 岸本栄司氏の伝えたかった事は
家具のアオキへ行くと、改めてそこで衝撃を受けたと言います。大抵、町にある家具屋であれば、ちゃぶ台等、高齢者向け商品が売れるところを、この店はアーロンチェア等、若い人が買う様な高級家具で、売り上げを立てていました。そこで堂園さんは、話を聞くうち、店が専門性を帯びていることが重要だということた気づかされるのです。 それは、岸本さんにおいてもそうだった。岸本屋で言えば、白のTシャツで3回洗って、くたびれないやつを売っているつもりだと。ここは絶対負けないという専門性が大事だったのです。その言葉通り、メールでもTシャツがもし伸びていなかったら返品承りませんと書いてあるほどでした。
そこで、堂園さんは自らのやるべきことはこれだ!と思いました。照明器具であれば、自分で取り付けられる自信もある。それに、よくマンションの販売会の後、照明器具の販売会で個人のお客様の間取りをみて、プランを立てて取り付けていたな、と。こういう情報を発信すれば、お客様の悩みにも答えられつながるかもしれない。
そして、堂園さんは一気に路線転換をし、1996年8月に照明器具だけに切り替えて売り始めました。最初から売れたわけでないですが、次第に、取り付けのこと等問い合わせが増えました。専門店になるとこういう風になるんだなと実感しました。ふとしたきっかけで、長崎のお客様に蛍光灯を使ったシャンデリアを勧めたら、購入もしてくれました。シャンデリアは5万円もする高価なものでした。だからこそ感動し「これはいける」と思ったといいます。 商品を売るという意味においては、今も昔も本質は変わっていないのではないでしょうか。誰に対して、何を売ろうとしているのか。そして、そのメッセージは届いているのだろうか、と。
そして、ふと堂園さんは取材中、こんなことを漏らしました。岸本屋や家具のアオキなど、ECで成功されている人たちは、関西の方々が多かった、と。 気になってその理由を聞いてみると、思いがけない言葉が返ってきました「。皆さん口をそろえて言うのは、震災だって言いますね。あれを経験して、自分の好きなことをやらないといつか人生終わってしまうとか。現場が今火事になっているとか、ここが破壊されているとかをネットを通じて配信した人がいたんです。ネットを使って現場の生の様子を伝える力はすごいだと気が付いたみたいで。」と。
阪神淡路大震災は1995年の事です。ECの成長の背景には、少なからずあの時の悲しい震災の出来事が、人を成長させたということがありそうです。変化はチャンスです。インターネットは、当時の人々にとって、ニッポンを変えるものであり、夢を託す存在であり、未来そのものであったのではないでしょうか。
奇しくも昨年、熊本の震災がありました。時を超えて、20年先にみなさんは何を見通しますか?