「お前はもったいない」から始まったVALX只⽯昌幸の破天荒な半⽣

ECのミカタ編集部

株式会社レバレッジ 代表取締役 只石昌幸氏

2019年にフィットネスブランド「VALX」を創設し、圧倒的な成功を収めている株式会社レバレッジ。ECのミカタでは、「EC業界の異端児」として知られるレバレッジ代表の只⽯昌幸⽒にEC事業者の悩みに答えてもらう新連載「只⽯に聞け!」を開始します。今回は新連載のイントロダクションとして、只⽯さん本⼈にインタビューを敢⾏。少年時代や社会⼈での挫折など、レバレッジ⼤躍進に⾄るまでの歩みを語ってもらいました。

すべては「頭がいいのにもったいない」の⼀⾔から

──「EC業界の異端児」と語られることが多いと思いますが、現在の只⽯さんになるまでは、さまざまな紆余曲折があったと思います。そこで今⽇は、これまでの只⽯さんの道のりを語っていただきます。まず最初の質問ですが、只⽯さんはどんな学⽣時代を過ごしたのですか?

只⽯昌幸という⼈間を形成するにあたって、この人生で⼀番影響を及ぼしたのは、中学3年生の時ですね。 当時は、勉強もせずテストの成績も悪く、フラフラ遊ぶ⽇々を過ごしていました。そんなヤンチャをしていた僕に、担任の先⽣が「お前はもったいない」と⾔ったんです。

当時、僕は授業にもろくに出席しない⽣徒だったので、「どういうこと?」と聞き返すと「お前は頭がいいのにもったいない」って⾔うんです。「なんで、そんな根拠もないことを?」とさらに聞き返すと、「お前は本を読んでいるじゃないか」と、豊かな読書経験があることを⾒抜いてくれたんです。

たしかに、僕はよく本を読む⼦どもでした。これには背景があって、僕の両⽅の祖⽗が起業家で、ともに⼤成功していたんですね。なので、⼦どもの頃はおもちゃをたくさん買ってもらいました。でも、僕が⼩学5年⽣くらいになると、倒産してウチにも借⾦取りが来るような⽣活になりました。だから僕の両親は、おじいちゃんのようにはなってはいけないと「お前はいい学校、いい⼤学に⾏って、⼤企業に⼊るんだ」と、ひたすら僕に勉強を強いるようになりました。

「ズッコケ三人組」シリーズや江戸川乱歩原作の「少年探偵団」シリーズなどを読みあさったという

⼦どもに苦労をさせたくないという親⼼から、良かれと思って強いたことが、僕には本当にストレスで、唯⼀の逃げ場が⾃分の部屋にこもって本を読むことだったんです。図書館に⾏って、たくさん本を借りて、ひたすら読んでいました。そんな⽣活をしながら中学に上がったんですが、友達の影響でだんだん親にも反発するようになり、中学2年⽣くらいから荒れた⽣活を送るようになりました。ただ、それでも本だけは読んでいましたね。

だから、それを⾒抜いてくれた担任の先⽣の⾔葉がすごくうれしかったんですね。「只⽯昌幸はもったいない」というたった⼀⾔が、私の⼈⽣を変えたといっても過⾔ではありません。

──この⼀⾔をきっかけに正反対に振り切るところがすごいですね。

その⽇をきっかけに、僕は猛烈に勉強をしたくなって、親に「塾に⾏かせてくれ」と頼み続けて、最終的には駿台予備校で講師をしていた叔⽗さんを家庭教師につけてくれました。毎週⽇曜⽇にその叔⽗さんの家に通ったんですが、教え⽅がすごく上⼿で「勉強ってこうやってやるんだ」という気持ちで⽬からうろこでしたね。読書経験が豊富だったことも幸いし、勉強を始めてからは成績がどんどん上がりましたが、それが気に⾷わない昔の友達が僕を執拗にいじめてくるんですよね。でも、そういう経験が「絶対負けない!」という思いとともに、僕の中で励みになったんですよね。

⼈間の可能性をひたすら信じて

──勉強をして結果がついてくると、励みになるし、努⼒も続けられますよね。

そうなんです。僕⾃⾝はゴール設定をしたわけでもなく、ひたすら勉強が好きになって続けた結果、中曽根康弘、福⽥赳夫という総理⼤⾂2⼈を輩出した、群⾺で⼀番の進学校に受かったんですよ。

この経験が僕のすべてといってもいい。今でも僕は社員に接する際、⼈間はたった⼀⾔で変わると伝えていて、誰もが可能性を秘めているし、能⼒に満ちあふれていると考えています。そこを開花させる接し⽅と環境を⽤意するために、レバレッジという箱があると考えています。

ウチの「VALX」という異端ブランドがメガヒットとなり、たった数年でここまで伸びることができたのは、⼈間の可能性をひたすら信じて、(社員に)任せて、(社員を)応援してという環境のおかげだと思っています。

社員に伝えていることは「⼈間はたった⼀⾔で変わる」

キーエンス⼊社

──只⽯さんの⼈⽣では、⾼校⼊学が⼀つのターニングポイントで、⼤学での就職活動で再び⼈⽣が変わる出会いがあったそうですね。

就活に⾝が⼊らず、どこからも内定をもらえない中で、「サラリーマンの最⾼峰ってどんなところなんだろう?」と調べたときに「平均年収1600万円」という数字が⽬に⼊り、キーエンスという会社を知りました。知ったその翌⽇に床屋に⾏き、ザ・就活⽣みたいな髪型にしてピンストライプのスーツを捨て、洋服の⻘⼭でド定番のリクルートスーツを買い、完璧な就活⽣になりました。

──その後の就職活動はキーエンス1社しか受けなかったのですか?

本当にキーエンスしか⾒てなかったです。落ちるわけないと思いながら、もし落ちたらそのとき考えようって感覚だったんですよね。今考えたらリスクでしかないんですけど、そのぐらい恋い焦がれていました。「会社の歩き⽅」を⼗数冊購⼊し、「打倒!キーエンス」という紙を書いて部屋に貼りまくり、「この部屋を出たらもう内定」と⾃分に暗⽰をかけるようにしていました。

結果、内定を勝ち取ったのが僕の⼈⽣の2回⽬の奇跡。そこから、本気になってレーザービームのごとく集中して取り組めば、どんなことでもうまくいくって、脳が信じ込んじゃったんですね(笑)。

「キーエンス内定を勝ち取ったのが僕の⼈⽣の2回⽬の奇跡だった」と只石氏

社会⼈での挫折

──ただ、キーエンスではかなりツラい思いをされたそうですね。

⾼校⼊試の時と同じで、キーエンスに⼊ることで、燃え尽きてしまったんですよね。当時、キーエンスは平均年収1600万円なので、ビリでも平均の半分の800万円は保障されるだろうと、気を抜いていたんです。結局⼊社3年⽬でお払い箱になりました。でも、もしあのとき、会社が僕を押し出してくれなかったら、今でもキーエンスにしがみついていたと思います。

ただ、僕には合わなかったですね。キーエンスにおける売り上げアップとは、⾔われたことを⾔われた通りにやって数を増やすことだったんですよ。全部本社が決めたデータマーケティングの通りに兵隊のごとく動くのが営業で、キーエンスのすごいところって、営業ではなくてマーケティングなんですよね。

当時、僕は埼⽟営業所でしたが、⾦曜の夜になると都内のクラブに⾏って、⽉曜の朝ギリギリまで遊んで、そのまま疲れ果てた顔で出社していました。⽔曜⽇になると、「今週もあと半分だ」という感じのスタンスで、本当にやる気のない社員でした。今だったら、早く辞めればいいのにと思うのですが、周囲から「給料いいね」なんて⾔われてチヤホヤされたから、プライドも捨てきれずに辞められなかったんですよね。

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後編に続く


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