「組織は戦略に従う」を再現して見せた【花王ヘアケア9年に及ぶシェア縮小からの逆転劇】
日本の消費財メーカーの王者、花王。その主力であるヘアケア事業は、長らく苦境に喘いでいた。高価格帯市場の拡大に乗り遅れ、シェアは9年連続で縮小。この巨大組織を内側から劇的に変え、V字回復の狼煙を上げたのが、中国市場から帰任した野原聡氏だ。
野原氏が放ったのは、停滞を打ち破るための“3本の矢”だった。人間の感情に訴えかける「スピーディなブランド再編」、さまざまな専門家がワンチーム一体となって開発を進める「スクラム型組織」への転換により、100年の研究資産を持つ老舗企業が、ベンチャー並みのスピードでヒット商品を連発する体制へと変貌を遂げた。
そして本記事が焦点を当てるのが、3つ目の矢である「ECの本格導入」だ。これまで花王ヘアケアが苦戦した背景には、マーケティングとECが分断され、ECが単なる「販路」として扱われてきた課題があった。野原氏は「ECをチャネルと捉えてはならない。生活者の“行動”の一部だ」と断言する。
EC改革に向けて野原氏がパートナーに選んだのは、CARTA ZEROの西奈津紀氏。「花王への忖度は一切なし」「戦術の前に戦略マップを描く」西氏とのフラットな共闘関係が、巨象・花王を動かした。二人が語る「組織は戦略に従う」を地で行く組織改革と、本質的なEC戦略とは。
【プロローグ】ブランド大改革を成功に導いた3本の矢
日本最大の消費財メーカーである花王は、主力のヘアケア部門において9年連続でシェアを落とすという未曽有の窮地に立っていた。特に拡大する高価格帯市場での遅れは顕著だった。
この危機を脱するため、花王は大胆な「ブランド大改革」を開始した。白羽の矢が立ったのは、中国市場から帰任直後だった野原聡氏だ。
中国でのアリババ攻略にあたり、成功した経験を有す野原氏には、花王ヘアケア復活を成功へ導く“3本の矢”ともいえる方策があった。
1つは、人間の「6つの感情」に対して、6つのブランドを配するポジショニング・マップ作りからのスピーディなブランド再編。2024年から25年にかけた2年あまりで、「melt(メルト)」「THE ANSWER(ジアンサー)」「MEMEME(ミーミーミー)」といった高価格帯新商品の立ち上げと、「エッセンシャル」「セグレタ」「メリット」のリブランディングを立て続けに実施した。
短期間でこれほどの開発と刷新を成し遂げるのは、従来の花王からは考えられないスピードだ。可能にしたのは、100年の研究実績を持つ花王ならではの、新興他社には真似できない開発力と老舗企業らしからぬスピード感の両立だ。
2つ目は、その開発資産を武器に驚異のスピード感を生み出す「スクラム型」組織への進化だ。スタッフ全員がリーダーシップを持ち、“自分ゴト”化して仕事にあたるモチベーション向上によって、組織の総和を加速度的に高めた。
これら“2本の矢”は、すでに複数のメディアに取り上げられ、「伝説」になっている。そして今回、ECのミカタが注目するのが、3つ目の矢である「ECの本格導入」だ。
王者・花王が辛酸をなめてきた背景には、ECで新興メーカーに後れを取ったことが影響している。「ECは単なる販路ではない」と言い切る野原氏が、リベンジをはかるべくパートナーに抜擢したのは、ECのエキスパート、CARTAの西奈津紀氏だった。二人が語る、メーカーECのあるべき姿と組織論とは。
リアルな「商品体験」があればこそECは加速する
西 野原さんが私に初めて問い合わせをくださったのは、第1弾ブランドの「メルト」をローンチした直後のタイミングでしたね。2024年の春ぐらい。お会いしてみたら、次から次といろいろな構想が出てきて、私が「それ全部できますよ」と答えたことを覚えています。当時、「花王の弱みはマーケティングとECをちゃんと連動できていないことだ」とおっしゃっていたのが印象的でした。
野原 そうでしたね。僕は、中国でアリババのプロジェクトに携わった経験から、ECはプラットフォームであり、要するにメーカーと生活者をつなぐ「場」なんだという強烈な原体験を持っています。
アリババはプラットフォーム上のデータを使って生活者をブランドにのめり込ませる。そこで広告収入が生まれ、その広告に引き寄せられて生活者が流入してくると我々メーカーの売上も上がり、さらにデータが貯まる。そのデータをメーカーが利用したくなる。
中国でまさにこの「循環モデル」の中心にいたので、日本でも“循環”を起こそうと思っていました。絶対にやりがいがある。あとはいつやるかのタイミングだけでした。
花王株式会社 コンシューマープロダクツ事業統括部門 ヘルス&ビューティケア事業部門 ヘアケア事業部 ブランドマネジャー 野原聡氏
西 やはりメーカーとして、基盤は商品でありブランドづくりであるということですね。
野原 そうです。やっぱり商品というものがリアルにあることが大切なんですよ。特に日本の場合は、生活者とのタッチポイントとして「店頭」で商品と出会う体験が非常に重要です。
西 そこをまず形成したんですね。
野原 ブランドのシェアは、生活者が体験するものの蓄積でできている。その「体験」にはパッケージ、店頭、使用感、広告、そしてECといっぱいある。それぞれがどのくらい影響するのかをちゃんと測ってからスタートしようと決めていました。
第一に店頭の大切さ。もう一つはSNSに代表される口コミ評判の大切さ。この2つを押さえてからスタートする。
当たり前ですが、商品体験によって口コミが増えると、店頭での配荷も増えていく。生活者にとって「買いづらかったもの」が徐々に「買える」ようになり、フィジカル・アベイラビリティ(物理的な入手可能性)が上がっていく。そうして認知と体験が広がったタイミングでECを本格化させる。これがイノベーター理論でいうところの、イノベーターからマジョリティへ思考が広がっていくプロセスとの連動なんです。
西さんと出会ったのは、そのためのブランドづくりに目途がついて、年内にはEC旗艦店を立ち上げようと考えていたまさにそのタイミングでした。
西 野原さんは、中国から凱旋してブランド大改革のリーダー指名を受けた時点で、すでにロードマップを描けていたんですね。だからECについても、最初のミーティングで「こういうことやったほうがいいよね」と合意すると、すぐに「じゃあ次はどんなプランにする?」と、2時間ぐらいで大枠が決まりました。
野原 僕自身、中国での経験からECの仕組みや世界観はわかっていたし、西さんも同じ視点を持っているとすぐにわかったので、話が早かった。スピードも、僕が中国で学んだ重要な要素です。
中国はスピード勝負。早くやることが競争優位になる。だから花王も長谷部(佳宏)社長が脱マトリックス型組織を進化させた「スクラム型」の運営を号令したのですが、現場は変わっていなかった。そこでヘアケア事業部の意思決定は、出し戻しの多いバケツリレー型をやめて「スクラム型」に変えました。
西 「スクラム型」は従来のやり方とは具体的に何が違うのでしょうか。
野原 これまでの開発は、いわば「受注発注」の繰り返しでした。事業部が研究員に「中身を作って」と依頼して戻ってくる。次はパッケージ担当に「デザインして」と依頼して戻ってくる。広告も同様です。これだと時間がかかりますし、各担当者は自分のパートしか見えていません。
西 分業が進むほどそうなりますね。
野原 スクラム型では、研究、パッケージ、広告など、あらゆるタッチポイントのプロフェッショナル全員を一つの部屋に集めます。そして、最初の数カ月はひたすら「ゴールのイメージ」だけを議論するんです。「このブランドで生活者にどんな感情を巻き起こしたいか」というプロセスそのものが「ゴール」を決めることなので、一人ひとりが主体性をもって積極的に動き出します。その段階までくると、チーム全体がゴールに向かって猛スピードで動き出します。
面白いのはここからです。例えば、出来上がったパッケージデザインをその場で研究員が見る。すると「この世界観なら、液体のテクスチャーをもっと硬くしたほうが合うかも」と発想する。逆に、クリエイターが試作品の香りを嗅いで、「この香りなら、キービジュアルのグラデーションを変えよう」と修正する。
西 すごい。専門家同士がその場で刺激し合って、プロダクトを磨き上げている。
野原 これまでは事業部が情報のハブになり、「こんなデザインができたよ」と各部署に伝達していましたが、スクラム型では全員が同時にアウトプットを見ます。そこには上司も部下もなく、フラットに意見を言い合う。だから圧倒的に速いし、何よりメンバーのモチベーションが違います。「自分が作った商品だ」という当事者意識が全員に芽生えるんです。
成功を裏打ちする「全体戦略」と「緻密な戦術」
西 日本のEC業界では、いわゆる大企業特有の“壁”があり、話がスムーズに伝わらないことも多いのですが、野原さんはそれが全くありませんでした。組織が大きくなると、どうしても部署が分断され、連動した動きができにくいですよね。特にECとブランド事業部が遠くて、コミュニケーションがうまくいかないケースが多い中、野原さんのスピード感に感動しました。
野原 西さんの提案は、僕の感覚にすごく合っていました。例えばEC本格化にあたって、いきなり「Qoo10で何を売るか」といった戦術の話ではなく、D2Cやモールを含めた全体のKSF(重要成功要因 ※)は何か、どういうターゲットをどこで囲い込むかといった「戦略的な全体マップ」から入ってくれたことが重要でした。
※KSF=Key Success Factorは、事業やプロジェクトが成功するための主要な要因を指す
西 そこを評価してくださったんですね。
野原 それだけではありません。戦略だけ立派でも意味がない。プラットフォームごとの戦い方の具体策も、実務的な戦術のディテールも、緻密に練られていたことが一番大きいです。信頼度があった。そこが競合他社との決定的な違いでした。
僕が大切にしているのはPDCAのスピード感です。やってみて、失敗したらリカバリーして、ブラッシュアップして知見として積み上げる。西さんの会社(CARTA)のプレゼンからは、そのサイクルのイメージが湧きました。
西 ありがとうございます。
野原 あと、西さん個人に対していいなと思ったのは、花王に対して「忖度」しないことですね(笑)。
西 確かに、フラットかもしれないですね。
野原 「(花王の体制では)これはできませんよね」とか、普通に文句も言ってくれる。それがめちゃくちゃいいんです。裸の王様にならずに済みますから。
西 そう見てくださる野原さんがすごいと思います。
100年の研究資産×スクラム型組織=圧倒的な開発スピード
西 改革では内部の根回しなどご苦労されたのではないですか。
野原 前例のないことばかりでしたからね。生産や物流拠点の調整など、各部門の理解を得る必要はありました。ただ、やる理由をちゃんと説明すれば、幹部を含めどの部署もスムーズに動いてくれました。
西 確かに。ECに関しても、皆さん本当に“自分ゴト”化して一緒に戦略を立ててくださいました。私のような外部ともフラットに、前向きにディスカッションしていただいて非常にやりやすかったです。
野原 花王はおよそ100年にわたりヘアケア研究を続けてきましたからね。これまではバケツリレー型の開発で時間がかかっていましたが、全部署が集まる「スクラム型」にすることで、資産を生かしながらものすごい速さでアウトプットすることが可能になったんです。
西 100年の資産を持つ企業がベンチャー並みのスピードで動く。これは新興ブランドには真似できない強みですね。
「アウタースクラム」で外部のプロもチームの一員に
野原 一般的な広告代理店は、「こんな商品があったらいいですよ」とは言いません。でも西さんは、「ECではこういう商品じゃないと売れませんよ」「コストが下がりませんよ」と、MD(マーチャンダイジング)の領域まで踏み込んで言ってくれる。
一消費者の視点とECプロフェッショナルの視点、両方を持って忌憚なく指摘してくれるおかげで、すぐに「じゃあ、作りましょうか」となる。西さんは“僕たちのスクラム”の中の一人。それが、スピーディに開発が進んでいる要因の一つです。
西 逆に私は、野原さんに巻き込まれているような感じがします(笑)。
株式会社CARTA ZERO ECマーケティング局 Commerce Container部 部長 西奈津紀氏
野原 商品によっては開発段階からインフルエンサーに入ってもらうなどして、めちゃくちゃ外部を巻き込んでいます。いわば「アウタースクラム」で、社外の方々もスクラムの一員としてワンチームでやっていく。
西 商品がローンチされた時、関わったインフルエンサーの皆さんが「これ私が作ったんですよ!」と熱量高く発信してくださるのは、自分の意見が生かされたという実感があるからこそです。私もうれしかったのでよくわかります。
マネジメントは「管理」することではない
西 これから、次はどこを目指していらっしゃるんですか。
野原 2つあります。1つは各ブランドに応じた成長をどう作るか。
例えば「メルト」が提案する「休息美容」という価値観はシャンプーの世界だけにとどめず、他のカテゴリーにも拡張できると考えています。「ジアンサー」は「花王100年のヘアケア研究から、たどり着いたヘアケアの答え」と打ち出していますが、正解は一人ひとり違っていい。そういう「ECならでは」のサービスモデルを作りたい。ブランドの個性に合わせた拡張というか。
あとは、やはりグローバルです。日本のヘアケア、スキンケア、化粧品で真にグローバル市場で勝てたブランドはまだない。そこを目標にしたいですね。
西 グローバル市場で勝つ、ですか……スケールが大きいですね。
野原 組織としては、スクラム型を定着させたい。うちの部門だけでなく、他の部門でも少しずつ増えてきています。
スクラム型は、個々のモチベーションが高くないと機能しません。自分がどうリーダーシップを取れるか。それには、各自のセルフマネジメントが必要です。
西 野原さんのチームの皆さんは、本当に意志が強くて、何より楽しそうです。
野原 モチベーションが高いから、オーナーシップを持って仕事に取り組んでいます。僕はあんまり管理しないので。
西 優しいって言われていますよね。
野原 スクラム型のリーダーに求められるのは「管理」ではなく、メンバーがやりたいことを実現できるように支える「サーバントリーダーシップ」です。若手メンバーに「これはダメだ」とか「これならいい」と命令するのではなく、リーダーが自らメンバーに奉仕し、彼らの成長と成功を最優先に考えるリーダシップスタイルです。優しいわけではなくて「勝手にどうぞ」なんですよ(笑)。
でもまぁ、結論は「楽しくやる」。自分が楽しさを感じてやれることがすごく大切だと思います。それを続けていきたい。
ECは「チャネル」ではなく生活者の「行動」である
野原 ECのミカタの読者の皆さんに伝えたいのは、「ECを『ECだと思わない』ことが大切」だということです。
西 ECって言うとチャネル(販路)の一つに見えてしまいますからね。
野原 そうではなく、生活者の行動の一部をデジタル化したのがECです。「知る、調べる、買う」という生活者行動(ビヘイビア)の一つだと捉える。
西 同感です。でも、「ECを立ち上げたら、売上が上がるでしょ」と言う人がいます。
野原 それは違います。「生活者という“母体”の中で、ブランドに興味がある人が増えた結果、売上が上がる」んです。順番を間違えてはいけない。
西 「ECがあれば売れる」わけではない。ただ、ECがあることでデジタルの「知る・買う」がつながりやすくなる。やはり起点は「生活者」ということですね。
野原 その通りです。生活者の動線の一つとしてECを正しく位置付けることで、ブランド体験はより豊かになり、結果として事業も成長すると信じています。
西 花王ヘアケア事業部の第一歩は、楽天市場の花王ヘアケア公式店への出店とQoo10花王ヘアケア公式店出店を行いましたが、改善を行いマーケティング戦略と連動してヘアケアのEC事業を拡大していきたと思います。


