風呂敷に愛を込める84歳の店長~店長のホンネ✖️楽天
今日も店長の一本指打法がお客と店舗を繋ぐ
素晴らしい店舗であるならその取り組みや想いはこの記事の読者に響く。僕はそんな記事なら書きたいと話したところ、楽天(本社:東京都品川区、代表取締役会長兼社長 三木谷 浩史)は僕に「楽天市場」のとある店舗の話をした。その店舗についての話が僕の心に響いたからこの地に来た。今回の「石郷が行く!店長のホンネ」でやってきたのは上野駅から二時間の茨城県常陸大宮という場所だ。
店舗の名は「ふろしきや( http://www.rakuten.co.jp/furoshikiya/ )」という。常陸大宮駅で出迎え、車で仕事場まで案内してくれたのは、社長の倉田稔之さん。車窓からのぞむその街中に驚かされる。至る所に、「ふろしきタウン☆ひたちおおみや」と書かれたのぼりがあったのだ。楽天にお店を出して15年。その店舗はそれをきっかけに、この街のシンボルとなった。
仕事場は家のようだった。玄関を開けると、店長の倉田千恵子さんが正座をして、出迎えてくれた。今年で84歳。こちらですと案内された先には、千恵子さんの体も小さく見えてしまうくらいの大きなiMac。話す前に「ちょっと待っていてくださいね」と言ってそのモニターに向き合うと、メールでお客様とやり取りを始めた。キーボードを“一本指”で軽快に打って、この大きなiMacを使いこなす姿は、何だか頼もしい。
そんな倉田千恵子さん。もとは呉服屋だった。「昭和58年頃にはね、問屋が大きな会場を借りて小売が集まって巨大な販売会をやっていたのよ。そこだけで数社合計数億円は売り上げていたかしら。」と振り返る。しかし、盛況ぶりも昔の話。「それがねぇ全然売れなくなっちゃった。呉服業界は厳しくなったの」と状況は変化する。街ゆく人々は着物を着なくなり、呉服屋の需要がなくなったのだ。
国内での販売が衰退していくなかで海外へと目を向けたのは、先ほど案内してくれた社長であり息子の倉田稔之さんだ。熱い男の倉田稔之さんは、とある外国人に言われた「日本って自分から発信しないよね」という言葉で闘志に火がつき、だったらとその「着物」を持って海外に発信し、販売しようと考えたのだ。それは1996年。楽天の創業すらしていない時代のこと。当時、EC決済などの仕組みもないので「自分で大手信販会社に電話をしたら断られた」と照れ笑いを見せるが、その行動力には恐れ入る。それもあり、売り買いはメール。これも思うように行かなかった。
楽天との出会いが店長と社長に、新たな一ページをもたらす
楽天との出会いは、まだ創業からそれほど経っていない楽天を特集するテレビ番組を見た事に端を発する。すぐに問い合わせた倉田千恵子さんと稔之さんは、楽天に出店する決意をする。名前は「ふろしきや」。着物ではなく、ここで主役となったのは例えば100万円以上の呉服のおまけでつけていたような陰なる存在「ふろしき」だった。
「(ふろしきは)どこに売っているのかという問い合わせは少なくなくありませんでした。確かにふろしきの問屋はあれど、小売は殆どなかったのです。また、着物はメンテナンスが大変で配送にも手がかかるのに引き換え、ふろしきはそれもない。」と倉田千恵子さんと稔之さんは口を揃える。それを自分達のwebで分かっていたからこその決断。この店の運命をふろしきに託したのだ。それが7月7日。オープンは千恵子さんの誕生日の前日のことだった。
とは言え「勝算があったわけではありません。事実2年間、売れませんでしたが、ネットの上にも3年でしょう!」と千恵子さんが明るく話す通り、売れなくても諦めはしなかった。しかし、結果的にはこの下積み時代こそ千恵子さんにとってはパソコンを学ぶ格好の期間となった。慣れてき始めたその時、この店は思わぬところで脚光を浴びる。
それはクイズだった。当時ネットで何かを購入しても写真で見たイメージよりも小さいという声がよく聞かれた。ならばそのサイズ感が伝わりづらい事を逆手にとってお客様に問うた。あらゆるものをふろしきに包んで「中身は何でしょう?」と。
Q、何かにかぶせられたふろしきは丸みを帯びていて、大きい。横には味塩がある。さて、中身は?
A、スイカ!
…となりそうだが、それは間違い。中を開けると、地元のチーム「鹿島アントラーズ」にちなんでサッカーボールが!という具合だ。
見る人の裏をかくその解答にクレームも覚悟したが、逆にお客様を熱狂させ、クイズは定番企画となり、楽天市場のショップオブザイヤーの受賞に繋がった。一気に流れが変わり、遂に売れ始め、リピーターも付くようになり、今に至る。確かに、それも分かる気がする。百貨店でも売られていたりするが、それでも精々100点ほど。でも、今やふろしきやは1000点を取り扱う品揃え。改めて、ふろしき好きに絞って強化した事が功を奏したのだとわかる。
お客様もまた様々だ。「新弟子に贈る」と相撲部屋のファンがいれば、弁護士、某県庁の知事室からの依頼というのもある。なんでも役人は鞄に書類が入りきらないから時にふろしきを使うというのだ。ユニークなのはバイク乗りのお客様だ。聞けば「日本人は頭が大きいのでバンダナよりも風呂敷がいい。それにヘルメットをふろしきに包んで持ち歩く」と言う。バイク乗りのそのお客様の後押しもあって「ライダーズふろしき」コーナーを作ったりもした。店舗を魅力的に変えるそのヒントはお客様との一言にあったのだった。
遊び心あふれる企画がお客の心を掴み、街も動かしていく
一方で、「ふろしきデザインコンペ」と称し全国からデザインを募り、デザイナーに光が当たる企画も立ち上げ、優秀作品には商品化の栄光を与えた。「デザイナーの人達は、自分のデザインが製品化されたものが世の中に出て行ことが嬉しいんです。その心理を企画の盛り上げにつなげたかった」と倉田稔之さん。そしてそこで生まれた商品は独自商品なので他店との差別化になるということも勿論、念頭に置いている。現に、第一回目の受賞作品は同店のナンバーワン売れ筋商品だ。
「そのふろしきがモチーフにしているのは、本来、日本では仏の花であり、デザインとしてはあまり用いられていない蓮の花なのよ。でも、エジプトやインドでは聖なる神の花、中国では霊力を持つ君子の花という古代思想の花で由緒あるもの。デザイン性、その由来が共に喜んでもらえたみたい」と千恵子さん。イベント自体も年々拡大の一途を辿り、今では応募に700点も集まる人気企画。稔之さんは言う。「売れるためには売ろうとするのではなく、むしろ遊びを入れていく気持ちが大事」と。
ファンはファンを呼び、普通の家のようなふろしきやの拠点とふろしきの蔵を見てみたいと訪れる人まで出てきた。実際今年6月にこの場所を解放した際には2日間で100組も詰めかけた。こうした同店の盛り上がりぶりは、既に街へと知れ渡っていて、町ぐるみで「ふろしきを盛り立てよう」という動きにまで広がっている。ふろしきの包み方の講習を受け合格した人には、ふろしきソムリエ認定を授与するなどのイベントもあって、そこにも遊び心がある。ソムリエ認定者は嬉しくてそれを公言するほどに、人はふろしきに興味惹かれ、街は色づく。
それもこれも今から15年前のあの日。千恵子さんの誕生日前日、楽天で店を出店したこと。全てはそこがスタートだった。
上京しなくたっていいじゃない。インターネットは東京からこれだけ離れたこの地でこんなにも人を元気に、街を活気づけるんだ。別に僕は楽天にお世辞を言うつもりはないけれど、この街の元気を見ると楽天がもたらしたことは大きいと素直に思う。インターネットがもたらす力、それはお店から始まって、その地域経済、ひいてはニッポンを必ずや元気づける、その確信を持ったのも事実だ。この常陸大宮の地で得たものは、本当に掛け替えのないものだったと思っている。あっぱれ、常陸大宮。あっぱれ、ふろしきや。
企画・編集 石郷“145” マナブ
※追記:「ふろしきや」さん、楽フェスにワークショップで登場。ふろしきの魅力を体感してみては?
http://ecnomikata.com/ecnews/detail.php?id=5697