土屋鞄製造所が成し得た【Shopify Plus】によるEC運営 事業を大きく前進させるために必要な視点
世界的ECプラットフォームShopifyの最上位プラン「Shopify Plus」。導入を検討する事業者は今後増えそうだが、国内事例が少ないのが現状。そんな中、日本でいち早く採用したのが株式会社土屋鞄製造所だ。導入までの経緯や気を付けるべきこと、Shopify Plusの強みについて、土屋鞄製造所の福知氏、サイト構築に携わった株式会社フラクタの河野氏、南茂氏に伺った。
通常プランと何が違う? Shopify Plusのメリットとは
河野:Shopify Plusは、Shopifyと共通のシステム基盤を利用するという意味では、月額利用料29~299ドルの通常版と変わりはありません。しかし、通常版との大きな違いは2点あります。
1点目が、APIで接続できる幅が広いことです。通常版より多くのシステムと連携できるようになるのですが、その中でも特に注目したいのが「マルチパス」という仕組みです。例えば日本の大企業だと、会員情報を別のデータベースで一元管理しているケースは多いでしょう。マルチパスを使えば、会員情報をShopifyのシステムと連携させて、複数サービス間でのシングルサインオンが実現できます。
2点目は、決済画面のカスタマイズ機能です。購入に至るまでのデザインやUIを独自のものに改修することで、より実現したい顧客体験の提供が可能になります。
南茂:他にも、Shopify Plusを利用すれば、同ブランドであれば一つのアカウントで最大10ストアまで追加料金なしで運営することができます。B to CやB to B、さらには越境ECに力を入れていこうと考える企業はメリットを感じやすいでしょう。ダッシュボードで各店、各国の売上を比較することも可能です。
福知:越境EC関連でいうと、複数の通貨で決済できる機能がShopifyペイメント(Shopify導入サイトで利用できる決済サービス)に備わっています。他の決済会社と要件を詰めてプラットフォームに接続するとなると、かなりの工数と期間が必要になります。その点、越境を前提とした設計のShopifyは導入がスムーズで、お客様に対して利便性の高いサービスを提供できます。各国でのリーガル面もクリアになっているし、入金は日本円で行われるので、越境ECのスキームを構築する際には大きなアドバンテージになります。
土屋鞄が抱えていた Shopify Plus導入前の課題
福知:当社ではECプラットフォームのリプレイスを2度実施してきました。EC業界は日々イノベーションが起こっているので、ECシステムは常にアップデートしていかないといけません。ところが過去に利用していたシステムでは、独自のカスタマイズが自由にできる分だけ、例えばAmazon Payの導入に1年ほど期間がかかるなど、タイムリーにアップデートするための改修工数や費用が莫大になっていました。
これでは日々変化している市場環境に対応することができません。これがShopify Plusへのリプレイスのきっかけです。セキュリティについても課題を抱えていました。インターネット業界では世界的にサーバー攻撃を受けているという状況でした。それに伴って、保守費用もどんどん上がっていきました。そんな背景や課題がある中で、Shopifyが本格的に日本国内にサービス提供をしていくと知り、具体的な検討を進めていきました。
河野:土屋鞄様が大事にしていたのは「問題が起きる前に対処しなくてはいけない」ということで、サイトの保守に非常に多くのコストをかけていました。そこで提案したのがShopify Plusです。自社サーバーが必要なく、インフラの保守はShopifyが行ってくれます。世界規模でサービスを提供している企業なので、あらゆる攻撃から守るためのナレッジは天文学的なほどあります。
かねてからフラクタとしても、土屋鞄様には「自分たちのブランドをお客様にどう喜んでもらうか」に注力してほしいと考えていました。ただ、クラウド型サービスであるShopify Plusに切り替えるとなると、フルカスタマイズは難しく、諦めないといけない部分も多くあります。課題も含めて、Shopify Plusを利用するかどうか、今までやってきたこと、今後やっていきたいことを俯瞰的な視座で判断しなければなりませんでした。
福知:「こんなケースはPlusを採用すべき」といった線引きはかなり判断の難しい部分です。当社でもシステムのリプレイスにあたって必要な機能や要件を洗い出して、初めてそれが見えてきました。2019年4月にShopify Plusの導入を決定してから準備を進めて、その年の12月にサイトがローンチしました。
河野:このスピードで進められたのは、土屋鞄様が社内で要件を整理し、コントロールする体制が整っていたからです。Shopify Plusを利用する上で「使いこなせるかどうか」は成功の可否を握る重要なカギになります。決して万能なシステムではないので、要件を盛り込むだけではなく、削らないといけない場面も多々あります。システムの仕様を理解して、自社のビジネスにうまく落とし込む。それができてこそのスピード感だと思います。逆にいうと、事業者側で要件をまとめられない場合は、ヒアリングからシステム実装までをワンストップで対応してくれる国内のパッケージサービスの利用を検討した方が良いケースも多いと思います。
福知:要件定義は、システム側の設計に依存する要素も大きいです。例えば当社では、予約製品の決済スキームの構築を計画していましたが、仕様的に難しく、実装を見送りました。また、同じ社内でも、経営的な視点と現場の視点では、欲しい機能の優先順位が異なるはずです。それぞれの機能がビジネスにもたらすインパクトを整理して、サービス設計を社内全体で共有しなければなりません。人と資金の投下判断には、高難度なシステムディレクションの経験が求められます。
南茂:事業者サイドで考えて決定しないといけないフェーズが多いのは、Shopify Plusの特徴です。ビジネス視点と開発視点の両方がつながっていて、さらにシステムの仕様も理解して最適な“落としどころ”を調整できる。そんなプロジェクトマネジメントができる担当者の存在が必要になります。確かに時間と工数をかければ実現できることは多いですが、機能を積めば積むほどサイトの動きは重くなりますし、ストアとしての汎用性は下がります。Shopify Plusは「あらゆる要素を包括的に考えて、自分たちにとって本当に必要な機能をうまく使う」ことが試されるプラットフォームだといえます。
情報収集と取捨選択の重要性 「お客様のため」をブレさせない
福知:Shopify Plusは国内での事例が少なく、導入前の情報収集には苦労しました。海外の情報から探して、その機能が土屋鞄でも実現可能かフラクタ様に調査を依頼するなど、リサーチにはかなり時間をかけました。一方、Shopify Plusを利用し始めてからは専門の24時間365日サポートがつくので、問い合わせに対して、わずか数分で返事を頂けます。対応は英語のみですが、すぐに答えが返ってくるのは助かります。
河野:Shopifyのサービス設計思想の特徴は、ユーザーファーストです。商品を販売する側の立場になって、お客様との健全なコミュニケーションを実現することに注力しているのです。全く情報がない状態でも、その思想を理解したうえで調査を進めると予測が立てやすく、スムーズに情報収集が行えます。
南茂:フラクタでは定期的に情報共有の機会を設けていて、自分で調査したことや、クライアント様の反応や現場の実感値をナレッジとしてためています。ちなみにShopify主催のイベントはかなり情報量が多く、参加するだけで詳しくなれますよ。
福知:具体的な足掛かりとしては、フラクタ様にご紹介いただいた日本国内の導入事例や海外のD2Cブランドサイトをベンチマークしたり、既存のプラットフォームの機能を棚卸しするなどして、できること・できないことの優先順位をつけていきました。あらかじめ優先度をディレクションチーム間で共有していたことで判断のスピードが早くなり、壁にぶつかってもプロジェクトを止めずにサイト構築を進めることができたと思います。
南茂:土屋鞄様がすごいのは、しっかりと取捨選択をされていること。そのベースにある考え方が「お客様にどう影響するか」です。開発サイドから選択肢をご用意した際にも、判断の基準が明確で、「システムをつくる」というより「ブランドをどうつくっていこう」に全てつながっている印象です。
河野:システムへの依頼でよくあるのが、「全部の機能の優先度が高いので、もれなく組み込んでください」というもの。それで思考停止してしまうと、ただ現場の担当者が満足するだけで、お客様もハッピーじゃないし、ECサイトとしても成長しません。私は前回のシステム構築から土屋鞄様をお手伝いさせていただいていますが、「お客様はどう思うか、ブランドにどんなインパクトがあるか」。この軸がブレないところが土屋鞄様の魅力です。
Shopify Plusの優れた拡張性が ビジネスを加速させる
福知:Shopify PlusでのEC運用が始まって1年以上が経ちました。2020年7月には越境ECに特化したサイトをリリースするなど、およそ1年のうちに3つのショップをローンチできたのは、Shopify Plusならではのスピードです。さらに現在では、POS連携を含めOMOを視野に入れたプロジェクトを進めています。それに際してShopify Plus側のAPIの公開機能も活用し、他の越境サービスも巻き込んだ事業戦略を立てることができました。
河野:Shopify Plusの機能も高いですが、土屋鞄様の中で、社内外の調整能力に優れたチームが組めているからこそのスピード感だとも思います。日本の企業はリテラシーの問題で、サイト構築をベンダーに丸投げしがちです。ベンダー側から都度お伺いを立てていくやり方では、サービスのローンチまでに時間がかかってしまいます。その点、文化的にも仕組み的にも、自分たちで意思決定ができる土屋鞄様と、Shopify Plusの相性が良かったのだと解釈しています。
南茂:短いスケジュールでシステムの準備を整えたのもそうですが、「仕組みをどう使っていくか」のプランをしっかり持っているのも大きいですね。Shopify Plusというツールを活用して、どのように越境ECと関連付けてビジネスを広げていくかが明確だったので、短期間でのサービス拡充を実現できたのでしょう。
福知:新しい機能をすぐに実装できて、失敗したと思ったらすぐ元に戻せるShopifyアプリの存在も欠かせません。実はローンチはしたものの、すでに利用していない機能もいくつかあります。本来なら要件定義から始めて長い期間を要する機能追加も、アプリなら半分以下の時間で実装できます。そういう意味で「どんどん次に進める」プラットフォームだと思います。一方で、言語対応にはまだ課題があります。例えばフォーム作成時にデフォルトでは姓名が逆になっているなど、日本独自の商習慣への対応は改善の余地があります。エンジニアがいれば直せる部分も多いですが、日本へのローカライズがさらに進めば、多くの事業者が検討できるようになるでしょう。
さらなるサービス拡充に向けて Shopify Plusに期待すること
福知:現在取り組んでいるOMOのプロジェクトが完了し、システム上の情報を一元管理したら、次は新しいサービス提供の形を模索していくフェーズになります。
コロナの影響で小売業のあるべき姿が大きく変わっていく中、オンライン接客の在り方、実店舗の存在意義などの再定義が大切です。土屋鞄ならではのブランド体験を、現代の生活に即した形で提供できればと考えています。
南茂:危機感をもってECに参入する事業者は多いですし、2021年、ECの重要性はますます高まっていくでしょう。ただ私は、ECは“楽しい”ものだと思っています。世の中のブランドが、自分たちのプロダクトや経験を届けるためのツールとしてECを使っていくために、そのお手伝いをしていきたいです。
河野:Shopify Plusが他のECシステムと根本的に違うのは、事業者がいかに使いこなしていくかという部分です。フラクタではただ指示されたものを作るのではなく、そのための支援に力を入れていかなければなりません。事業者がお客様へのブランド体験の提供に専念できる環境を整えていきたいと考えています。
福知:Shopify Plusの基本的な機能の多くは、通常プランでも享受できます。今後はプラットフォームそのもののアップデートもさることながら、周辺のアプリ開発会社や、在庫管理・物流管理といったシステムとの連携を強化していくことに期待しています。さまざまな特徴を持つシステムをShopify Plusと接続することで、今以上に多くの事業者にとって、ショップ運営やサービス提供がより効率的に行えるようになるでしょう。
南茂:フロントエンドについての要望でいえば、例えば商品詳細ページにLPのようなデザインを実装できるようにするなど、コンテンツマネジメント機能の汎用性がさらに高まると、もっと面白くなっていくと思います。デザインのカスタマイズは、多くのブランドが気にする部分です。今でも自由度は高いですが、そこがあと少し充実すれば、Shopifyのフロント部分における死角はなくなります。
河野:Shopify Plusを検討するような規模の企業では、システム導入前に法務や情報システム部門のチェックがほぼ必須です。契約書やセキュリティの仕様書など、海外のサービスということもあって、日本語でのドキュメンテーションはこれから整備が必要な部分だと思います。現在は、Shopifyエキスパートなどが導入支援を、Shopifyとの間に入って行っていることが多いと思います。
先駆者からのアドバイスは 自社サービスを見つめ直すこと
福知:Shopify Plusは何でもできるわけではありません。システム上の制限もそれなりにあるので、話題性だけにつられて何も考えずに進めると失敗します。例えば毎月の利用料の支払いがクレジットカードのみだったりと、仕様だけでなく、契約面で合わない事業者も出てくるでしょう。大きな決定をした後でミスマッチを起こさないように、事前にしっかりと調査することをおすすめします。
河野:事業者はShopify Plusを導入する前に「誰のために、何を、どうやって提供するのか」というビジネスの根本的な部分を定義するべきです。自分たちが持っている資産や長所を駆使して、お客様に喜んでもらえたり、ファンになってもらう。それを実現するために、2021年のECでは、事業者とお客様のニーズに応じた最適なプラットフォームを選ぶ必要があります。自社の目標やカルチャーに合ったパートナーを見つけて、実現したいことを形にしていってほしいと思います。