【第二回】ヨナーイ佐々木のEC内緒話~どん底から這い上がった男の成功運営ノウハウ
【テラオ株式会社 ヨナーイ佐々木のEC内緒話~どん底から這い上がった男の成功運営ノウハウ】
オリジナルの日本酒と型番の自転車グッズ。どちらでも無駄なお金をかけずに成果を上げた著者のノウハウを全10回でお届けします。
第2回はずぶの素人と「自分の強み」に基づく店舗コンセプトの大切さです
☆バックナンバー
・第一回「27歳職歴なし無職(借金有り)からの出発」
https://ecnomikata.com/column/9195/
・第二回「パソコンを持たないネットショップ店長誕生」
https://ecnomikata.com/column/9380/
・第三回「思わぬヒット商品、誕生。」
https://ecnomikata.com/column/9596/
・第四回「強みを生かすとヒットが生まれる。」
https://ecnomikata.com/column/9886/
30歳を間近にした、無職の望まぬ就職。
1999年に日銭を稼ぐ目的で、地元・岩手の酒蔵あさ開(あさびらき)のレストラン「ステラモンテ」にアルバイトスタッフとして採用されました。(※前回参照)
実はまだこの頃は「ソッコーで3年以内に家の借金を返して東京に戻る!夢の続きを追うんだ!俺は全国レベルでの何者かのハズだ!」と本気で思っていたのですが。
さすがに30歳を間近にして、己を客観的に見ると「アルバイト(職歴なし無職)」「かなりイタい事を言っているニートのオッサンである」という、何とも香ばしく目を背けがたい現実を突きつけられ、ついに膝を屈しまして(笑)。
それまで何度か会社からの社員登用の誘いを断っていたのですが、地元では昔から知られた老舗だし、給料は特別高くはないけれど、安定していて潰れることもないだろう…。と最終的には会社からの誘いを受けることにして(無職のくせに何様だ)、2001年にレストラン部門で正社員として登用されました。
私の初就職は、いわば妥協と打算の産物でした。図々しくも「ああ、これで俺も年貢の納め時か…」と言うのが当時の正直な感想です(笑)。
ただ、接客の仕事自体はとても楽しく、単なるアルバイトの頃から「ここは自分の店だ!」と思ってやっていたので、やりがいはそれなりに感じていました。
残念ながら、完全に自分の仕事は「飲食業・サービス業」だと思っていたので、この頃はまだ日本酒の知識はさほど無いままでしたが。
何よりも、大学生時代に無理やり飲まされて具合を悪くした日本酒には、当時の私は良いイメージがまるで無く、平たく言えば「罰ゲームの酒」だと思っていました。むしろ「こんなもんをわざわざ金出して飲む奴は人生の落伍者だ」ぐらいに思っていましたしね(笑)。
2002年にレストランに併設する、自社の日本酒の他にも岩手県内の特産品を扱う「あさ開 地酒物産館」に配置転換。観光バスで全国から来るお客さんを酒蔵見学してもらいながら、お酒を試飲してもらって説明してお土産を買ってもらう、ツアーガイド兼お土産物屋の店員をしていました。
この頃から「自分が商うお酒の事を知らないのは恥ずかしい」と、自ら積極的に本を読んだり、お酒を造っている蔵の人間を質問攻めにしたりして知識を得るとともに、少しずつ日本酒に対して興味を持ち始めていました。
No.2以下の商品こそがお店を強くする。
そんなある日。
地酒物産館の店頭で、いつも試飲に出している売れ筋No.1の人気銘柄が急に欠品してしまいました。
そうはいっても観光バスの予定も入っており、試飲のお酒を出さないわけにも行きません。そこで、美味しくはあるのですが普段はまるで売れない、在庫が豊富にあった銘柄を急きょ試飲即売に並べることにして、私がその場で商品の特徴を踏まえたセールスの文言を考えました。POPすらその場で手書きし、急場しのぎも良いところです。
ところが、いつもは棚からお客さんが全く手に取ることが無かったお酒にも関わらず、普段のNo.1商品と遜色がないどころか、それを越えるほどの売上を上げました。
この時から、キチンと「商品の良さを伝える」ことが出来れば、売れない商品なんて無いんじゃないか?逆を言えば、いまその商品が売れていないのは、味でも価格でもラベルでもなく「欲しいと思われるような情報をお客さんに与えられていないだけ」ではないかと考えるようになりました。
当たり前ですが「この商品は人気No.1ですよー!」という売り方で、No.2以降の商品が売れるはずがなかったのです。
普段はさほど売れない銘柄も、キチンと酒造りの様子を見てもらい、その商品の特色やおいしい飲み方を伝えると、ちゃんと売れていくものだとこの時に気が付きました。
それまでは2種類だった試飲銘柄を、これをきっかけに増やし、現在では常設の無料試飲で6~7銘柄、有料試飲まで含めると店内のほぼすべての銘柄が試飲可能な状態。さらにはそのお酒に適したおつまみや、お酒を使ったスイーツなどの試食も展開しています。
また、そのうちの売れ筋の一つが欠品したとしても、他の商品で穴埋めが出来るようになり、不意の事態にも売上は下がりにくくなり、これに比例するようにして地酒物産館店内の売上も徐々に増えて行きました。
ちなみにこの手法は、現在の自転車グッズのキアーロでも取り入れています。
私が加わる前の約1年半~2年前と、売上上位の商品TOP20を比較すると、当時からの売上No.1商品は148%の伸びなのに対して、それ以外の商品の売上合計は701%。そのTOP20の商品の内、実に半数以上は当時は販売していなかった商品、もしくは販売していても売れていなかった商品です。
キチンとお客さんに良さを伝えれば売れるだろう、という商品を選別しページをきちんと作りこむことで、CVR(転換率)の店舗平均は当時の3.67%から6.36%まで上昇。
いわば「2軍以下」の扱いだった商品たちこそが、店舗の商品ラインナップに多様性を与えるとともに、特定商品への売上依存リスクを分散し、売上を無理なく大きく伸長する原動力になりました。
◆大切なポイント
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・一番の「売れ筋」だけに依存して売りがちだが、脇を固める商品もキチンとその良さを伝えることでキチンと売れるようになる。
・売れ筋の不意の欠品によるダメージも軽減され、またクロスマーチャンダイジングにより同時購入も発生し、平均のお買いもの金額(客単価)も増えていく。
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怖いもの知らずで私利私欲の出店。
元々が、言うなれば「ささやかな安定」だけを求めて就職したはずの、昔から地元では名を知られた老舗。しかし私は、入社したあさ開が置かれている厳しい日本酒業界の実情を、社員となってすぐに知ることになります。
日本酒業界は、ちょうど私が生まれた翌年の昭和48年をピークに。以来、その出荷数量は30年近くもずっと減少を続けており、2003年当時(平成15年)は最盛期の45%ほどまで市場が縮小していた、いわば「斜陽の産業」。この状態は今日まで40年以上も続いており市場自体は既にピーク時の30%ほどになっています。
2003年当時は本社の営業のみならず、地酒物産館の売上も毎年下降を続けており、「・・・これは入る会社を失敗したぞ。」と思わざるを得ませんでした。
そんなある日、定年退職も間近の上司が「最近インターネットで物が売れるようになってきたらしい。5万でも10万でも物産館の売り上げの足しになるなら、ウチでもネット通販を始めてみたらどうだろう?」「誰か担当をやりたい人はいないか?」と突然に会議の席上で話しだしました。
まあ、そんな感じで当時はあまり勢いも元気もない会社でしたし、社内でパソコンを使っている管理職といえどもWordとExcel程度(しかも、関数?なにそれおいしいの?レベル)。
「通常業務の他に余計な仕事を増やしたくないよ」「そんな難しそうなことなんか無理だよ」「誰かやるって手を上げろよ」
そんな心の声が聞こえてくるような、みんなが息を殺して下を向いて一言も発しない会議の中。
「はいはいはい!やります!ボクやります!」
完全に空気を読まずに、平社員の分際で自ら立候補しました(笑)。
もちろんパソコンなんてまるで使えませんでしたし、成功の自信があったわけでもありません。
そんなスキルで、本店を作ろうなんて夢にも思いませんでしたので、最初からモール型ECの出店の一択。
周囲にネットショップをやっている人も知らず誰にも相談できないので、あれこれと自分で調べ。
・どうやら一番売れてるっぽい
・楽天大学とかいう出店者向けのセミナーがあるらしい
という理由だけで、「月に5万でも10万でも」の売上では出店手数料すら稼げないことに気が付かないまま楽天市場に出店を決めました。
まるで無茶に見える担当者への立候補の理由は完全に私的なもの。
「会社の金でパソコンを覚えるチャンスだ!しかも東京に遊びに行ける!」
ずっと覚えたいと思いながらも、恐ろしいまでに逼迫していた家庭の経済環境のためパソコンすら買えず、それもままならなかった当時の私の立候補の動機は、完全に私利私欲にまみれたドス黒いものでした(笑)。
2003年12月の事でした。
◆大切なポイント
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・出来る出来ないではなく「四の五の言わずにまずやってみる」
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素人、その気になる。
そんなこんなで。
楽天大学の当時の出店者向け「基本6講座」を受講するべく東京の六本木ヒルズに出向いたその初日。
講師の方の「それでは皆さん、楽天市場のトップページを開いてください」との指示に、何をどうして良いかわからず隣の人に「すみません…インターネットってこの水色の“e”を押すんでしたっけ?」と聞いて、その場を凍らせたのは今となっては懐かしい思い出です(笑)。
ただ、様々な事例を題材に勉強していく中で、どうやら「パソコンが得意な人」よりも「商売(サービス)が得意な人」が向いているらしいと気が付き「これならイケるかもしれない!」とそれなりに手応えを感じたのは覚えています。
確か、当時の楽天市場の出店店舗数が約10,000店。平均の月商が250万円ほどだったと思います。
「俺なら頑張れば月に100万円ぐらいイケそうだ!」
平均の40%の年間1,200万円とはなんとも志が低い目標ですが、会社から訳も分からず設定された売上予算が年間で600万円。たぶん会社としてもさほどの根拠はなかったと思います(笑)。今もそうですが、予算はボーダーラインとして「自分で頑張ればイケそうな目標」を設定する習慣は、今にして思えば最初からだったと思います。
岩手に戻ってから、店舗オープンまでの作業を地酒物産館の仕事をしながら、合間に地味に少しずつ始めました。
今にして思うとかなりあり得ないことですが、ネットショップ担当者にも関わらず私はパソコンを持っていませんでした(笑)。最終的には半年後に古いパソコンを1台与えられたのですが(笑)。
それまでは上司のノートパソコンを使わない時だけ借りて、ホームページビルダーは自腹で買って、商品撮影のためのデジカメは弟から借りて使っていました。
通常は1ヶ月ほどでオープンまでこぎつけると聞いていましたが、結局3カ月ほどを費やし、私のネットショップ「あさびらき十一代目 源三屋」は2004年3月9日に産声を上げました。
初めてのご注文は宮崎県のお客さん。うれしくてうれしくてすごく長文の「ご注文ありがとうございましたメール」を書いた覚えがあります。
初月の売上はわずか19万円。しかもその内の7万円ほどは新しい物好きの自社の社長からの注文でしたので、実質12万円ほど。
これでは自分の給料すら出ていない!と青ざめ、ここから本気で「どうやったら売れるだろうか?」と考え出しました。
◆大切なポイント
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・無い知識やスキルは「学ぶ」事が出来るので大袈裟に悲観しない。
・売上は予測と予算(稼がなければいけない最低限)それに自分の努力や成長を加味した「目標」で管理する。
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インターネットもわからなかった私が行った、
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ネットの中の「近所の酒屋」に。
ようやく楽天市場に出店を果たしたものの、当然のことながら勝手にご注文が入ってくるわけではありません。
そこで、楽天の日本酒ランキングを確認して「どんなお酒が売れているのか?」を確認すると…
そこに並んでいるのは一升瓶で10,000~50,000円もするような、久保田、十四代、越乃寒梅、田酒などの「名前は知っているけれど実物を見たことがない」いわゆる「幻の酒」と言われるものがプレミアム価格でずらりと並んでしました。
要は、当時の楽天での日本酒通販は、完全に「一部の日本酒マニアが高値でも手に入りにくい銘酒を買う市場」だったのです。
あさ開は全国的にはほぼ無名の銘柄、しかも酒蔵(メーカー)であるため、当然ながら他の蔵のお酒を販売することはできません。
「この市場で、無名のあさ開1本で勝負しろと…?」
絶望して割と暗澹たる気持ちになっったのを覚えています(笑)。
そこで、私が出した結論は「同じ(知名度や高級路線の)土俵で勝負しない」でした。
当たり前ですが、世の中のお酒好きの人の皆が皆、毎晩一升瓶で何万円もするお酒を飲んでいるわけではありません。
ですから、リアルで言うなれば、名だたる幻の酒たちと同じ棚に商品を陳列するのではなく、その棚の前に酒蔵の半纏を着たお兄ちゃんがニコニコしながら立っていてこんな声をかけてくるイメージです。
「いやー、お客さん抜群のタイミングで立ち寄ってけだね!」「これね。一昨日に岩手のウチの蔵で搾られたばかりの今年の新米でこさえだ今年の新酒!1年でも今しか味わえない旬の酒ッコだよー」「普通のお酒と違って常温で保存するための加熱殺菌をしてない本当の“生”の酒!昔はね蔵で働く人しか味わえなかったお酒なんだよ」「とにかもう反則だ!ってぐらいに風味が良いからさ、騙さないがら騙されだと思って、まんず味っこ見で!」
「あー、でもねー。加熱殺菌してねーがら冷蔵庫さ入れねぇばわがんねんだよねー。んで、封切ったら…んだな。1週間ぐらいのうんめぇドゴで飲みきってけで!」
そんなお酒が3,000円そこそこで手に入るならば「それ頂戴!」って言うお客さんはきっといるはず。
製造元である酒蔵の「ならでは」を「キチンと接客して物語や価値を伝え」「自分という人間が前面に出て」商う。
つまり、私が選んだ方法は、すべてそれまでのレストランや地酒物産館でやってきたことを、そのままインターネットに持ち込むことでした。
こうして決めた、あさびらき十一代目 源三屋のコンセプトは「ネット上の“近所の酒屋”」。
お気付きかもしれませんが、私は基本的に「お客様」という呼称を用いません。あくまで「お客さん」。これが私の商いの距離感でありスタンスなんです。
ですから、間違っても「ユーザー」や「客」呼ばわりもしませんし「客単価」という言葉も意図的に使うことは避けています。
前述のように、40年以上にも渡って縮小し続けている日本酒業界の中でのシェア争いなんて、最初から考えもしませんでした。
私が一貫して目指していたのは「いつか飲みたいあの酒」ではなく「いつも飲みたいこの酒」。
つまり目標は「1人でも多くの生涯顧客の獲得」。
今にして考えるとかなり雑な計算だったと思いますが(笑)、一定数以上の常連さんとお付き合い出来れば、会社がつぶれることはないだろう「値引きも安売りもしなくて販売しているお酒を、年間15,000円のお酒を買ってくれるお客さんが20,000人いれば3億円の売上だな」と考えたわけです。
そして、十数年を経た現在、それは現実のものとなっています。
同時に、楽天市場のショップ・オブ・ザ・イヤーに選ばれるようなお店と、すでに実績を上げていた日本酒屋さんのページを穴があくほど見ては「なるほどな」と思ったことは拙い技術で少しずつでもページに反映させていきました。
とあるランジェリーショップさんのページがとても参考になったので、それを食い入るように見ていて「佐々木は会社で仕事もせずにいかがわしいページをパソコンで見ている」と密告され上司に呼び出されたほどでした(笑)。
・プレゼント
・共同購入
・オークション
・メールマガジン
・広告
・お試しセット
まずは楽天の担当さんにアドバイスされたことを、とにかくひたすら全部やってみました。
◆大切なポイント
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・市場を見るのは大切だが「真似をする」為ではなく「己の強みを見出す」ため。
・まずは素直に愚直にひたすら全部やる。取捨選択はその後で。
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そうしているうちに、思いもしなかった巨大な潜在的需要と後の超ヒット商品の手がかりを得るのですが、それはまた次回に詳しくお話ししますね(笑)
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!
※隔週金曜連載
次回第3回は6/24(金)の更新予定です。
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