【第5回】拝啓 山寺宏一様。30年かけて届けた手紙。
タキシード、燕尾服、モーニングコート、フォーマルスーツ・・・
メイドインオオサカの紳士礼服を製造販売するフォーマル専門店ノービアノービオ。1952年に礼服の生地問屋として創業、今は製造から小売(ネットと実店舗)まで手がける、いわゆるSPA企業ですが、小さな小さな町工場です。
バブル最盛期、従業員230人 年商65億円、紳士礼服メーカーとして業界2位。バブル崩壊後、従業員20人、負債45億円、在庫は倉庫に14億円分。
年商65億から負債45億円、約100億円のジェットコースターを下りきった頃、服の「フの字」も知らない素人だった僕は楽天市場店のスタッフとして、この会社にやってきました。
順調に伸びていた頃、相次ぐ大手の参入で再び窮地に。首の皮一枚すらちぎれそうなとき、次々と訪れた出会いと気付きと・・・たくさんの先達に出会い、学び、SNSを使ってV字回復。
SNSは次々にピンチをチャンスに変えてくれました。
子供の頃から大好きだった僕の「ヒーロー」に自社のタキシードを着てもらえ、「僕より僕のことを知ってる日本一のファン」と抱きしめてもらえた・・・。
SNSをやってたら、売上が伸びて子供の頃から大好きだった方に約30年越しで対面が実現、これまでの想いを伝えることができ、夢がかなった瞬間。
スタッフ数人の小さなECサイトのごくごく平凡な僕に起こったウソみたいなお話。
これから記させて頂くことは特筆すべき秀でたスキルなど何もない普通の僕がやってきた、「今日から誰にでもできるお話」です。
このお話を通じ、皆さんのお店のコンバージョン率+0.1%~に少しでもお役に立つことができればと、経験した全てをお伝えしていきたいと思います。
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Facebookが人生を動かし始めた
前回「ちょっとウチのこと書きすぎちゃう?恥ずかしいわ!」とオモシロおかしくバナーを作ったことを社長に怒られましたので(笑)今回はSNSを使い始めて起きた、最もウソみたいな本当の話をご紹介します。
10年ほど前。TwitterをECや店舗の集客に使い始めた頃、「日本にはmixiがあるからTwitterは流行らないよ」と何度も言われました。
Facebookを広報やお客さんとの交流に使おうと勉強会を立ち上げたら、「匿名で使えるTwitterがあるから、実名・顔出しのサービスなんて絶対に流行らない」勉強会にご参加頂いた方にすら、そんな風に言われることも。
数人の有志で立ち上げた勉強会は少しずつ広がり、多い時には30人以上にもご参加頂けるコミュニティとなりました。これが現在弊社の運営するEC・異業種交会「まちカレッジ」です。
まちカレッジでの主題は中小企業のSNS活用勉強会。ブログでPDCA、Facebook、TwitterをECサイト・ホームページの集客に使うという多角形の運用が堂に入ってきた頃の出来事です。
表参道の南青山店に1人のお客様がいらっしゃいました。仕事関係で結婚式に主賓で呼ばれたが衣装がないので、移動の合間に行けるお店がないかスマホで調べて見つけて頂いたのが当店でした。エリアを絞ったSEOの賜物ですね。
月に1度、東京に行くかというタイミングで、僕はこのお客さんに出会いましたが、試着をされている最中、僕も次の予定があり顔を見て会釈する程度でした。
しばらくすると、店長からFacebookのメッセージで連絡が入ります。そのお客さんこそ、山寺宏一さんの所属事務所の社長さんだったのです。僕がアニメや声優好きなのを知っていたスタッフの連絡が全ての始まりでした。
普段はまず接客中のトークぐらいでは素性を明かさないという社長さんでしたが、当店スタッフの「巧みなトークにポロリと話しちゃった」と後にお話してくれました。
第2回で書いた「間合いを詰める天才」がウチのお店にもいました。お客さんの懐に飛び込む天才が。Googleマップの口コミでは、この店長の事を「優秀」「面白い」とレビューに書いて頂けるほどです。そんな間合いの天才が繋いでくれた千載一遇のチャンスを逃すわけにいきません。居ても立っても居られず、今思うと酷いほど長いようなご来店のお礼文をお送りしました。
「元々無かったご縁、山ちゃんの事を大好きな思いが届けば」
それだけでも充分だと思っていたら程なくしてお返事を頂き、Facebookでの交流が始まりました。
「こんなにウチのタレントに詳しい人に会ったことがない。事務所に遊びに来て下さい」
無視されても当然のようなメッセージにご丁寧に返信を頂き、お誘いまで受けるなんて。こんなことがあるのかという思いです。最初に事務所にお伺いし、お話した時のことをよく覚えています。
山ちゃんのファンだと言う僕に、社長さんがこんなご質問をされました。
「山寺の役だと、やっぱり、エヴァの加持や、カウボーイ・ビバップのスパイクがお好きですか?」
「もちろんどちらも好きですが、子供の頃に観ていた魔神英雄伝ワタルのクラマと逆襲のシャアのギュネイが大好きです」
僕の言葉にとても驚かれていたのを覚えています。「そんな昔から、観て下さっていたんですか!」と。
山ちゃんこと山寺宏一さんが広くお茶の間に知られるようになったのはおそらく「エヴァンゲリオン」や流行語にもなった「おーはー」を元々生み出した「おはスタ」など90年代後半ですが、僕が山ちゃんを追いかけていたのは1986年あたりから。
デビュー当時から山ちゃんと一心同体のように過ごしてきた社長さんには懐かしく記憶を呼び起こすような会話だったようです。
「そんな作品ありましたね!忘れていました!本当に山寺のことお好きなんですね」
そう言って頂いたのが何よりも嬉しかったですね。
そうして山ちゃんにタキシードを作らせて頂くこともご快諾頂きました。山ちゃんのタキシードを作りたいという思いは、単に自分の好きな方に衣装を作りたかったのではありません。この数年前、ものまね番組の出演時に青いタキシードを着られていたのを観て、沸き起こった3つの夢。
「山ちゃんにウチのタキシードを着てもらいたい」
「そのタキシードでテレビに出てもらいたい」
「そのタキシードで授賞式に出てもらいたい」
その夢のうち、いきなり2つが叶うのです。お仕立てから1ヶ月も経たないうちに、テレビを観ていて思わず声を上げました。
部屋で思わず大声を上げました。夢を見ているみたいでした。数年前に観た同じ番組の中に、間違いなく自社のタキシードを着ている山ちゃんがいるのです。呼吸が止まりそうなほど感激したのを憶えています。
たった1人の夢のためにたくさんの人が動いてくれた
山ちゃんのタキシードを作らせて頂いて2年半が経過していましたが、僕は未だお会いできていませんでした。
事務所さんとも、舞台の衣装提供などいくつかの案件でご一緒させて頂くようになっていますから、事務所の方に「手紙を渡して下さい」と言えば必ずお渡し下さったでしょうし、「お会いしたいです!」とお願いすれば、寛大でお優しい社長さんのこと、きっと会わせて下さったかもしれません。
それでも、僕はなるべく自然な形でお会いできればと思っていましたし、この会えそうで会えない距離が楽しくなっていました。
奇跡のような確率でご縁を頂いたのだから、この後も偶然やご縁の積み重ねの延長線でお会いできた方がいいじゃないか。それがどこか生きる楽しみになっていたのかもしれません。
かつて明石家さんまさんは、憧れのマイケル・ジョーダンさんとの共演を「好きすぎて会いたくない。一生会わないで過ごしたい」と断ったと言います。
また、マツコ・デラックスさんも中森明菜さんに対して「愛が深すぎて会いたくない」と語っています。このお二人に近い感情を僕も持っていたのかもしれません。
それでも、何度も山ちゃんにお会いする夢をみていました。朝起きて「こんな風に会うのかなぁ、やっぱりいつかは会いたいなぁ」と思うようになりつつありました。
そんなある時、これまでなかった急展開が起こります。東京の公演に際し、社長さん、マネージャーさん、制作の方から別々に同じ内容でご連絡を頂きました。
「公演を観に来て下さい。山寺さんにお会いできます」
前夜は一睡もできませんでした。ずっと追い続けてきた人に会える瞬間が本当に来るのか、ずっと夢見心地でした。
劇場の楽屋に昇るエレベーターで交わした言葉は一言一句覚えています。
そして山ちゃんと遂に対面の時。本番前の声出し練習の合間にステージ前でその時が訪れました。膝に力が入らなくなったことを記憶しています。社長さんからご紹介頂くと、山ちゃんが歩み寄って下さって、
「いつもありがとうございます」と。
僕は「はじめまして」と名乗るのが精一杯。
すると山ちゃん、ステージ上で正座をしたのです。
「失礼しました。高いところからですみません」
と、僕と視線の高さを合わせて下さり、語りかけてくださる声はずっと聞いていた大好きな声。
今、多い時には200人近くの前で講演させて頂くこともあります。なのに「山寺宏一」というたった1人の前で言葉が出ない。ガチガチの僕を周囲がほぐしてくださり、舞台上に上げて頂いて記念撮影。
「夢が叶った場面に立ち会えて私も嬉しいです」
満面の笑みでそう言って下さった社長さんはまるで、このシーンを思い描いていたのかというほど。僕の夢を叶えてくれるために、何人の方が動いてくれたのだろうと考えると本当に胸がいっぱいになりました。
ですが、僕はここで大きなミスを犯します。
「あ!手紙!山寺さんに手紙を渡すの忘れてた!」
対面に際し、社長さんが事前にこう助言を下さいました。
「きっと胸いっぱいで想いも伝えきれないでしょうから、山寺に手紙を書かれては?」
対面したらその通りになり、言われた通りに手紙を書いて来ていたのに頭が真っ白で渡しそびれたのです。実に僕らしい結末。
しかし、事務所の方々を通じてその手紙はご本人に渡り、テレビ局の楽屋ですぐに読んで下さったそうで、このようにご連絡をいただきました。
「山寺はその場で手紙に目を通し、ニコニコしていたらしいですよ!」
1986年、山寺さんを初めて知って約30年、この30年分の想いを便箋5枚では伝えきれないほどですが、積もり積もった僕の想いを込めた手紙を読んで山ちゃんが笑ってくれたのなら。
衣装でご縁頂いて、山ちゃんが今は自分のことを知ってくれている。それだけでも、新たな心の支えになりました。
3つ目の夢も叶った時、涙が止まらなかった
子供の頃からずっと僕のヒーローを演じてきた山ちゃんとの最初の対面は全く話せませんでしたが、また次に会えたらと話す事を考ようとしていた矢先、ビッグニュースが飛び込んできます。
「第24回日本映画批評家大賞で山寺宏一さんが声優賞を受賞」
ニュース記事でみた情報に、授賞式当日着られていたタキシードが「ウチでお仕立てしたものなら嬉しいなあ」という事をFacebookに投稿したところ、山ちゃんのマネージャーさんがコメントを下さいます。
「そうです!!とってもカッコいいタキシードでした!授賞式後には中村獅童さんの披露宴にそのまま向かわせて頂きました(^-^)」
また絶叫ですよね。
「山ちゃんにウチのタキシードを着てもらいたい」
「そのタキシードでテレビに出てもらいたい」
「そのタキシードで授賞式に出てもらいたい」
3つの夢のうち、最後に残っていたものまで叶ってしまったんです。
画像を探していたところ、
「WOWOWシネマのFacebookページに写真があがってるよ!」と聞いてすぐにページへ。
http://bit.ly/2ENhp7o
(出典:シネコミ by WOWOWシネマ Facebookページ)
朝、誰もいないオフィスでFacebookを開き、この写真を観た瞬間、堰を切ったようにボロボロと涙が出てきました。子供の時以来じゃないかというほど嗚咽。
「こんなことあるんや・・・」
授賞式の山ちゃんの写真をみてひたすらに泣きました。誰かに見られたらやばいぐらい止めどなく涙が溢れて止まりませんでした。
最後の夢、
「そのタキシードで授賞式に出てもらいたい」
までも叶った瞬間です。山ちゃん御本人、関係者の皆さん、多くの方々によって叶えて頂いたのです。
この時に書いたブログは同じ事務所の皆さんや後輩の方々も読んで頂いたそうで、多くの方から「もらい泣きしました」や「僕も何十年後にそんな風に言ってもらえる声優になります」と言って頂きました。その反響にも本当に感激しました。
一度ご縁がつながると不思議なもので、30年かけてやっと会えた3ヶ月後に、今度は大阪で再会するチャンスがやってきました。大阪での舞台後の楽屋口、着替えを終えた山ちゃんの方から僕に気づいて下さいました。
開口一番、
「あぁ~!ありがとうございます!」と。
僕の方に歩み寄って来て下さり、前回直接話せなかった事をたくさんお話できました。小学生の時、初めて山ちゃんを知った頃の事、高校生の頃に聴いていたラジオの話。
その全てをうんうん、と時には照れくさそうに笑顔で聞いてくださるのです。
「ほんと、そんな昔から・・・。誰も僕のことなんか知らない頃から観て下さってたんですね」
「みんなから話も聞いてたけど、ほんと僕より僕のこと詳しいんだもん、驚いちゃった」
それは手紙を読んで下さっている証拠でもあり、周囲の方が僕の事を山ちゃんに話して下さっている証拠。ただ、大好きで観てきただけの事、それをこんな風に言って頂いて。
ちょうど、山ちゃんの誕生月でもあり、山ちゃんと僕が会えるきっかけをつくってくれた南青山店の店長が自作した蝶ネクタイをプレゼントすると
「ちゃんとしたシャツ着てくりゃよかったな~、わーかっこいいなぁ!ありがとうございます!」
と、すぐにその場でつけて下さって。おなじみの「おーはー!」のポーズ。
2時間以上に及ぶ長い舞台の後にも関わらず、この神対応。そして、悲願のお願い。
「山寺さん、すみません。これにサインして頂きたいんですが・・・」
「わーなにこれ!なんか懐かしい!ヤクト・ドーガだ!」
「しかも初回版です!ギュネイ大好きだったんです」
「かっこいいなぁ!ほんと、昔から観て下さってたんですねぇ、デビューしてすぐん時だもん!懐かしいなぁ!」
そして、頂きました。
「ギュネイって書いちゃえ!」
と機動戦士ガンダム逆襲のシャアの役名「ギュネイ・ガス」のサイン入りヤクト・ドーガ。
そして抱きしめてもらった写真が最上部のメイン画像です。
衣装を着てもらえるだけでも夢みたいで、会うのが怖いぐらいでしたけれど、会ったらもっと大好きになりました。子供の頃から大好きだった憧れの人。会えなくて当然だった人にSNSがきっかけで繋がったのです。
「好きなものは、好き!」を発信しよう
夢を叶えるためにSNS発信している人も多いと想います。ですがECなどお仕事で活用される方はそうは行かない場合もあるでしょう。
ですが、少しずつ「好きなものは好き」を混ぜながら発信していたら夢が叶ったのです。この感覚はやはり続けてこそ身につくと想いますし、バランスは本当に難しいとは想います。
それが自然体でできるようになった時、SNSで叶う夢もあるかもしれない。僕は実際にこうして叶いました。
セミナーでSNS活用のコツを聞かれた時、必ずお話する「好きなものは、好き!をまっすぐに発信し続けること」の原体験がここにあります。
幼少の頃に知り、ずっと追いかけて、一緒に仕事をしたくて進んだ道で挫折、全く関係のないような業種で仕事をしてSNSをやっていたらご縁が訪れ、衣装を作らせて頂く。
こんなことが訪れるのですから、本当に人生は不思議です。
「努力は報われる」「諦めなければ夢は叶う」
昔は大嫌いな言葉でした。実際、夢らしい夢なんて叶ったこともなかったですし。
「山ちゃん自分の描いたキャラに声を当ててもらいたい」と漫画家を目指したこともありましたが、そんな夢叶うわけもなく、ゲームメーカーに勤務し「自分の作ったキャラに声を」も叶わず。
2回目に書いたような過酷な環境に耐えかね、アニメやゲームの世界と一線を隔そうと、今の会社に来ました。
服の「フの字」も知らない未経験の異業種への挑戦でした。
僕はミシンを扱えないので、自分が縫製したわけではありませんが、型紙の企画から参加して生み出されたタキシードが、お店のスタッフ、事務所の皆さん、縫製工場のみんなと繋がって山ちゃんに着て頂いて。
それが今、山ちゃんが当店のインフルエンサーのように、声優仲間の方々に広めて下さる。
そして事務所の後輩の方々が、「ノービアノービオの衣装を着る」ことを目標のように言って下さいます。
山ちゃんに憧れて声優を志したという、事務所の後輩でTwitterはフォロワー73万人以上という人気声優・花江夏樹さん(@hanae0626)が授賞式に臨まれる際に衣装提供した当店のツイートはなんと65万人以上の方に届きました。
若手で成長著しい帆世雄一さん(@joseyou1上図:右)はお会いした頃、フォロワー数百人でしたが、現在では4万人近いフォロワーをお持ちです。
初対面の時、帆世さんは「初めてのオーダースーツは絶対にノービアさんで作ります。オーダースーツ作れるぐらい頑張ります!」と力強く誓って下さった約束を果たしに昨年ご来店下さいました。
帆世さんと共に「いちだまんず」というユニットで活動する、6.7万人のフォロワーを持つ同じ事務所の仲村宗悟さん(@ShugoAbc 上図:左)と共にスーツを仕立てて下さり、自らのTwitterでPRして下さったツイートは半年以上経つ今もリツイート、いいねが付くほどです。
更にトークイベントでも当店の事をPRして下さったり、それがきっかけでご来店を頂くことも。そしてファンの皆さん当店のSNSをフォローして下さり、時には「お店の前を通ったよ」なんて看板の写真と共にツイートして下さるという、とんでもなく有り難い状況になっています。
SNSは多くの方々を巻き込み、やがて大きなうねりになる。夢は形を変え思いもしなかったような状況で叶う、そんな幸福に恵まれてきました。
遠回りのようで、仕事しながら夢が叶うこともある。一瞬を本当に大事に、目の前のチャンスには絶対フルスイングを!
山ちゃんと僕とのご縁は、本当に「あの日、あの時、あの場所で」そんな一瞬で繋がりました。
後悔するにしても、全力でチャンスに挑むことの大切さをお伝えしたいと思います。
この体験をSNSやブログで投稿していると、その体験談を話して欲しいと講演の依頼が少しずつ増えてきました。
「SNSで集客・広報をしていたら、夢を叶えた男」
そんなご紹介を頂くようになり、今日に至ります。そして、SNSの活用運用でお困りのECサイトさんのお手伝いを始めることになるのです。
第5回も最後までお読み頂いて本当にありがとうございます。
ぜひぜひ今回のご感想・温かいお言葉をよろしくお願いします。
http://www.machicollege.jp/contact
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次回のお話は、ひっそりと自社サイトの集客、O2OのためブログやSNSを活用してきた僕に、色々な所からお声がかかり始めます。
自分の経験が少しでもお役に立つのならと始めた中小企業、ECサイトのお手伝い。そこでの事例へと進めてまいります。
【第6回】SEOは「誰も自分のことを知らない」を受け入れてから始まる
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次回も宜しくお願いします!