検証「SaaSの死」は「ECの死」へとつながるのか?【後編】 EC事業者が知っておくべき2026年の重要トレンド

最終更新日:

船木春仁

AIエージェントの台頭によって従来のビジネスアプリの形態が崩壊する「SaaSの死」。前編では、この地殻変動がEC関連SaaSを「中抜き」し、私たちが知る「Webサイト型ECの死」へとつながっていく背景を検証した。

しかし、これは決してEC市場の終わりを意味するわけではない。むしろAIエージェントの普及は、これまでのECと実店舗のあり方を根本から変え、新たな勝者を生み出す可能性を秘めている。

後編となる今回は、国内外の最新事例から「実店舗の逆襲」と「オンラインとオフラインの融合」の最前線を追い、これからのEC事業者がとるべき生存戦略に迫る。(文中敬称略)

●前編はこちら>>

AI時代には実店舗が巻き返せる余地が生まれる

「ECの死」、すなわち「Webサイト型ECの相対的地位の低下」は、株式市場ではすでに取引材料になり始めている。

例えば2026年2月、米ホームセンター大手ホーム・デポの決算が発表された際、売上高は前年同期比4%減だったにもかかわらず、市場予想を上回っていたことから株価は上昇した。収益に貢献したのは、プロ向けのAIエージェントを利用した「工事管理ツール」だった。ツール上で設計すると自動的に見積書を作成し、そのまま注文もできる。ツールを利用した注文が増え、結果的にオンラインの売上高が増加した。市場は、これを評価したのである。

ウォルマートでも似たようなことが起きている。ウォルマートのアプリ内にある「Sparky」というAIの買い物エージェントは、顧客のリクエストに合致した商品を提案したり、購買履歴から在庫の補充を提案したりする。決算説明会で同社のCEOは、「AIエージェントを利用した顧客の平均注文額は、他に比べて35%高い」と明らかにした。

例えば「今日のご飯」と相談すると、近くの店舗やドライブスルーで受け取れる商品の在庫なども勘案してメニューを提案する。近隣の複数の店舗の在庫情報をベースとするので示せるメニューが多く、消費者には選択肢が多くなり、「ついつい買ってしまう」のだという。

ここから浮かび上がってくるのは、「既存の実店舗を持つプレイヤーの復活」だ。購入したい商品が最初から明確な場合は、ECモールの品揃えは極めて魅力的だ。しかし、ウォルマートの例にあるように、購入したいものが曖昧な場合に具体的な提案をする「AIエージェントによる競争」では、リアルなアセット(店舗や在庫)を持つ小売店が巻き返せる余地が大きいのである。

AIはオンラインとオフラインの垣根をなくす

現在、ネットで顧客を獲得するコストは上昇しており(MetaのCPMは2024年比22.5%増、GoogleのCPAは同17.2%増)、従来のECモデルの収益は圧迫されている。この打開策として、自社ECサイトに高度なAIを導入する事例が出始めている。

ファンケル傘下で無添加化粧品を扱うアテニアは、ZEALS(ジールス)が提供するAIエージェント「Omakase ai」をベースにした「アテニア AIビューティアドバイザー」を自社のECサイトに組み込んでいる。ユーザーは、AIと音声通話やテキストチャットで肌の悩みや対応した商品を相談できる。

このAI活用の最大のポイントは、「顧客一人ひとりにじっくりと時間をかけられる美容相談窓口の自動化」だった。実はアテニアのメインチャネルはECサイトである。しかし、店舗で商品を購入した顧客に比べて、ECサイトのみで購入した顧客のLTV(顧客生涯価値)が格段に低いという現実に悩まされていた。店舗での美容相談のような「顧客ロイヤリティを高める対応」をECサイトで実現できないか。それに解を与えてくれたのがAIエージェントだった。

ちなみに「アテニア AIビューティアドバイザー」が実現した背景には、アテニアが蓄積してきた数百ページに及ぶマニュアルをすべてAIに学習させたことがある。さらに商品の成分データ、エイジングケアの知識なども学習させている。AIのハルシネーション(虚構生成)を防ぐために、マニュアルにない内容は無理に推測せず、「わかりません」と答えるように設計してもいる。

ウォルマートのAI活用が「実店舗のさらなる効率的活用」につながり、アテニアのケースは「オンライン上で育ったブランドが、AIによって実店舗と同等の満足度を実現できること」を意味している。実店舗かネット店舗かは関係なしに、AI活用でオンラインとオフラインの壁を取り払えることが、AIエージェントの導入を後押ししている。

AIを使いこなすためのEC側の対応

改めて、AIおよびAIエージェントがECにとっていかに革命的なのかを整理してみよう。

かつて検索上位に表示されるように「Google SEO」を最適化したのと同じように、AIがECの各種の機能を包含していくと、「商品を売る側」にはどのような対応が求められるのか。

ECのコンサルタント企業であるトリプルホエール(Triple Whale)の予測データを参考にすると、これからのAI時代におけるECの要対応項目は、主に5つの要素に集約される。

これらを見てもわかるとおりAIはECの端から端まで、つまりエンド・ツー・エンドで稼働する。とすると、これはECに関連するSaaSの完全なる「死」を意味するのだろうか。

「AIオーケストレーション」の土台としてのSaaS

AIの活用拡大は「SaaSの死」「ECの死」を招くのか。

それを見通せるほどの材料はまだ出ていない。現段階では悲観的な材料が目立っている。

例えばAIエージェントの大きなメリットである「オーケストレーション(統合制御)」の凄味である。複数のAIエージェントが役割を分担して戦略の立案や実行策の策定、実行、検証などをAIが自律的に回していく。それは、個別の部分最適なSaaSが不要であることを意味してくる。

一方で従来のSaaSは、CRMやHRなど自社の業務領域に特化した(言葉を換えれば「閉じている」)存在であり、他のシステムとのオーケストレーションはできない。特定のSaaSがオーケストレーションの指揮を執ることもない。そもそも戦略の立案や複数領域の横断という発想はSaaSにはない。

つまりSaaSがオーケストレーションの中心(脳)になることはできない。

では、SaaSがまったく不要なのかというと、現段階では全否定できる要素もない。

今のところSalesforceがOpenAIと提携したり、AmazonやYahoo!ショッピングがWebサイトにAI機能を導入したりするなど、既存のSaaSやECの機能をより便利なものに改善するツールとしてAIが活用されている。これらの動きから読み取れるのは、自社が持つ膨大なデータをAIエージェントのオーケストレーションに不可欠なものにしようとする動きである。

つまりAIエージェントは、それ自体だけでオーケストレーションが可能なのではなく、それを実施したり制御したりするための「土台(データインフラ)」を必要とする。正確で最新のマスターデータ、誰が何をしてよいかという権限管理、監査ログ、会計や人事などのコンプライアンスの確保などは、AIが独自にゼロから生成できるものではない。

そこにこそ、SaaSが死を迎えないための最低条件がある。AIエージェントが自由に、かつ正確に動き回るには、SaaSが「企業のデータとルールの中枢(Single Source of Truth)」として存在している必要がある。

ファンケル傘下のアテニアが、長年蓄積した膨大なマニュアル(データ)をAIに学習させて成功している事例は、それを象徴的に物語っている。SaaSが「死」を迎えるか、あるいは「AIのインフラ」として再生するか。その境界線が、今まさに溶け始めている。

(終)

●前編はこちら>>


記者プロフィール

船木春仁

船木春仁

水産経済新聞社、東京タイムズ社編集局社会部、文化部デスク、社会部長、金融証券部長、編集局総合デスクなどを経て、1990年に編集工房PRESS Fを設立。フリーの経済・産業ジャーナリストとしてダイヤモンド社、新潮社、野村インベスターリレーションズ(『IRmagazine』)、東京海上日動火災保険(代理店向け広報誌『Club Nextage』)、NTT(広報誌『365°』)、川崎重工業(技術広報誌『Kawasaki News』)などの各種媒体で記事執筆や企画構成。著書に『時代がやっと追いついた 新常識をつくったビジネスの「異端者」たち』(新潮社)、『テクノロジー・ストリーミング 技術頭脳集団NTT-ATの挑戦』』(毎日新聞社)など。

船木春仁 の執筆記事